自由ということ

日々考えていること

このブログのテーマでもある、

自由に生きよう。

これは僕の仕事の軸でも人生の軸でもある。

自由とは何か?

僕にとって「自由」という言葉の定義は、ある日、180° 変わった。



自由とは何物にも縛られず、

責任や義務を持たず、

思いのまま行きたいところに行き、

やりたいことをできる状態である。

まあ、一般的に自由といったらこんな感じだろう。

普通、人はそういう状態になる機会がない。

ずっと何かに追われ、何かを求められ、

何かを追いかけて、僕たちは生きている。


学校行きたくない。

会社に行きたくない。

地域の集まりに参加したくない。

子育てしたくない。

介護したくない。

やりたくないけど、やらされることがたくさんある。

やらないと不安になることも、たくさんある。

だから、そういうものから解放されることを、願う。


自由になりたい。


今、FIREとか目指している人達も、この自由を求めて生きている人達だろう。


それが人間の目指す先なら、どういう世界なのだろう。

一度体験してみようか。

そう思ったのは大学2年の頃だった。

数年間は遊んで暮らせる金を僕は学生時代に手に入れたので、

その金を持って、大学を休学し、世界一周旅行に出かけた。

大層な志なんか持ってなかった。

目的は本当に一つだけ。

大勢の大人たちが憧れ、目指していることをやってみる。


ただ、ひたすら、自由に遊んで暮らす。


その目的どおり、

僕は、ひたすら自分のためだけに遊んで暮らした。

行きたいところに行って観光し、

やりたい遊びをやりたいだけ楽しんで、

自分の快楽のためだけに金と時間を使った。

気の合う人とだけ交流し、

面倒臭い奴等は遠ざけて

それはそれは楽しく気ままに暮らした。


そんな生活をしながら、ふらふら旅を半年くらい続けたある日、

イスラム圏のどっかの路地裏をブラブラ散歩してた時、思った。


僕、、、全然、、、自由じゃない。。。


世界の中で、僕は、ただの旅行者であり、ただの傍観者だった。

どこにも所属していない。

どこにも。

義務や責任は確かにない。

明日やることを誰にも求められない。

でも、僕は誰の人生にも、何の影響も与えていなかった。





旅行者は、ただの傍観者。

世界を旅していながら、世界のどこにも所属していない傍観者。

目の前にいる誰の人生にも真の意味で干渉しない。

なぜなら、観光する自由を求めたら、旅行者は目先の物事にコミットできないから。

自由に生きる人も同じ。

コミットは極力避けなければならない。

そうしなければ、自由でいられない。


酒飲んで、冗談言って笑ってたいのに、

その酒場を牛耳るボスに対して、

怪我するリスクを抱えながら、喧嘩を売り、

ぶっ倒して、囚われの少女を救い出す、

みたいな責任は、自由人には引き受けられない。

だって、そんな責任引き受けたら、自由じゃなくなっちゃう。


誰にも何にも影響しないし、影響されない素晴らしき人生。

全くもって、不自由!!!


世界に干渉できない幽霊みたいな存在。

それってつまらなすぎる。

つまらない人生すぎる。

この自由は、僕が目指すべきものではない。



僕は干渉したい。

世界に干渉したい。

目の前にいる人たちに何らかの作用を与えたいし、

作用を受けたい。

作用反作用の法則、感じたい!

だって、生きているんだから。

ワンピースのルフィや、水戸黄門みたいに、

旅をしてる時も、

いく先々で誰かと出会い、

その人たちと真剣に向き合い、

手助けして、一緒に問題を解決し、

また次の行き先に旅立っていく。

いろんなことに巻き込まれてドタバタするので、

予定通りの観光はできないかもしれない。

でも、そういう旅の仕方、生き方の方がずっと楽しいんじゃないか?



世界一周の旅行に出て、

僕が得た収穫は、この気づきだった。


コミットすることの喜び。

責任を引き受け、義務を果たすことの喜び。

その先にあるもっと大きな自由。

自分の外の世界を動かせる自由。

その自由をひたすら求めて生きている。

あの時からずっと。
















コメント

タイトルとURLをコピーしました