FIREしても意味ない

日々考えていること

最近、周りにFIRE目指してます、という人をちらほら見かける。

それに対して僕の意見。

「FIRE達成しても意味ないし、目指しててもダサいからマジ言わない方がいい。」

FIRE = Financially Independent Retire Early

経済的に自立して、早期にリタイアする。

働かなくても生きていけるだけの不労所得を得られるようになって、

30〜40代で退職し、

そのあとは自由に生きていく。

これがFIREの定義。

それを目指している人に出くわすと、僕は有名な寓話を思い出した。

セブ英語倶楽部- 「ハーバードMBAとメキシコ人漁師の話」の原文を読み解く

不労所得で生きていけるようになって、どーするよ?

大抵、FIRE目指してますっていう人は、FIRE自体が目的なので、

達成後、何して生きるか?っていうことをあまり考えていない。

FIRE後のことは、リタイアして時間ができてから考えればいいという節がある。

これはお金を第一に置いた考え方であり、思考がお金に支配されている。

お金のこと以外何もない薄っぺらい人間です、と言っているのと変わらないからダサい。

そもそもFIREに執着するということは、

今の仕事に生きがいを感じていない、ということ。

何かしらの不満を感じており、働かないことの方がマシ、という状態。

であればさっさと辞めてしまえばいいのに、それをしないところもダサい。

お金は、使わなければ通帳に並んだ数字でしかない。

使わないのなら、あっても無くても生活は変わらない。

FIREをする人は貯め込んだお金をそのまま置いておき、

お金が生み出す不労所得の上積みを掬って、支出生活することを目指す。

全く労働で稼がずに生きていくこともできる、というのがFIREの状態。

しかし、そんな消費するだけの生活が果たして楽しいだろうか?

お金を払うだけの存在なら、相手にとってATMと対して変わらない。

そういう人は、お金として敬われるかもしれないが、人としてリスペクトされない。

仕事をしてお金を稼ぐことは、人が社会とつながるための欠かせない両翼の一つであり、

それ無くしては生き甲斐も、社会における個の存在意義も失ってしまう。

結局、働くことは楽しい。だから人は働く。

リタイアした後もどうせ働いて、

多少のお金をもらい、

それが生活に必要な分を賄えるのなら、

FIREのために蓄えたお金に何の価値があるのか?

FIREのために我慢し、犠牲にした若い頃の時間に何の意味があるのか?

いつだって、自由に生き方を選択して、自由に行動すれば良い。

思考がお金に縛られていなければ、やりたいことはいつだってできる。

それをせずに、お金を言い訳にして先延ばししているのはダサい。

FIREにまつわることは全てダサい。

お金は適当にやりくりして、楽しく生きようよ。

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