ネットに存在しないなら、世の中に無いのと同じ

渋沢栄一 リーマン時代のこと

前職で働いていた頃、

尊敬し、畏怖していた偉い方がいた。

その方は、僕が新入社員の頃はまだ部長で、部門長から役員までどんどん出世していった凄い人だった。

とにかく高圧的で、プレッシャーをかける仕事スタイルだったので、

部下はみんな緊張しながら仕事をしていた。

少しでも抜けている社員がいると徹底的にこき下ろされた。

頭のキレが半端なく、問題は見逃さないので、

会議のときは皆、相当な準備をして臨んだ。

僕は幸運にも新入社員の頃から、

部門の意思決定会議に出席させてもらえていたので、

おっさん達が冷や汗をダラダラかきながら、

命懸けで報告している姿を見るのは、

非常に面白かった。


海外の駐在員が一堂に会する戦略会議では、

僕を含め一人一人が自分の仕事についてその方に報告を行った。

下手なことを言う駐在員がいたら、次の人事では帰国させられた。

無駄に準備資料が増えるという弊害もあったけど、

その緊張感は、業務の緻密さと、完成度の高さを生み、

部門はどんどん成長した。

ある意味清々しくもあった。


当時、駐在員はMax5年という決まりがあったのだけど、

限界を超えて僕が8年も香港を謳歌していられたのは、

その方がちょっとばかり僕のことを覚えてくれて、

支援してくれたおかげもある。

最終的には新しい事業を作る同じ分野に注力されていたので、

非常に心強かった。

でも、志半ばで亡くなってしまった。

病さえなければ、社長に手が届いた方だった。

その一報を聞いた時、

僕は、呆然としながら、その方の経歴を改めて振り返ろうと名前をネットで検索した。





何も出てこなかった。




そして気づいた。

ああ、あの方が偉大だったのは会社の中だけなんだなあ。

あの方を偉大であると知るのは会社の中の人間だけなんだなあ。

その事実を知って、ちょっと虚しくなった。

不満もあったけど、おおむね楽しく働いてた会社だけど、

そろそろ辞めよっかな。

ここにいても社内の中だけの人間で終わってしまう。

どんなに偉大であっても。

その人の仕事や業績は全て会社のものであり、その人には全く帰属しない。

仕事に命をかけて生きるのなら、それはあまりにも虚しいことではないだろうか。

僕が退職を決めたのは、その時だった。

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