2007年4月19日 中国 ラサより 自由な時間の流れる町

世界一周ブログ
僕はラサに思いのほか長くいてしまった。
すぐ出発するつもりだったのだ。ネパールのビザがとれたら。
しかし、明日出発する、明日出発すると毎日言っておきながら、中国ビザの期限ギリギリまでこの場所から抜け出せなかった。

それほどまでにラサは魅力的な場所だった。

空は驚くほどに青く、日差しは強い。
周りには自然が山ほどある。

手にマニ車を回しながらチベットの巡礼者たちが八角街をぞろぞろと右回りに廻っている。
すぐそこでは、小さな子供たちや若者が、無邪気に路上で遊んでいる。
大召寺の前では、熱心なチベット教信者が体を路上に横ばいにして祈っている。

西安から36時間の列車の旅のあと到着したその日には、高山病で頭がガンガンし、一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。
それも到着のその日だけだった。

僕が泊まったのはユースホステルのドミトリーだったが、そこにはいろんな人がいた。
ひとつの特徴として、長期滞在者がとても多かった。
中国中から、自由な時間を過ごしたいという若者が集まっているようだ。ここは、中国人にとって究極のオアシスのような場所である。

仕事を辞めてしまった青年、仕事を探したい男、飛び級で大学に入学することが決まりその分手に入れた時間をのんびり過ごしたい少年、食べるのが大好きな女の子、ほんとうの幸福をみつけたい女性、オフィスワークなんかごめんだという自由人、ただダラダラしたい廃人、
なんでもこいだ!!
ラサはこんな人すべてをうけいれる。

僕が仲良くなった友人の一人にガングレイという男がいる。
彼は27歳で仕事をほっぽりだして、ラサに来てしまった。
しかし、彼は仕事ができない社会不適格者というわけではない。以前は3つも仕事をもち、若くして母親に家を買ってあげられるほどバリバリの男だった。
彼はそのすべての仕事をほっぽり捨てて自由を求めてラサにきた。
彼は繊細な心の持ち主で、裁縫や料理なんか特に上手で、女っぽいところがあるが、それも彼にひとつの魅力を添えていた。いつもハッピーというように元気がよく、愛嬌があり、ホステルの住人すべてを巻き込んで一瞬にして友達にしてしまうような男だった。
彼は、ほんの30分もパソコンをいじくり回しただけで、その日の支出以上稼いでしまうようなすばらしいことをしていた。
そんなことができるのもラサの魅力なのだ。ここにいて僕も彼の真似ごとをしていれば一生まともに働かなくたって生きていける。
自分のいたいだけ、生きたいだけこの地にとどまっていることができる!!

そしてこの街の人の優しさはなんだろうか。

ある時僕は、八角街を掘り出し物の骨董品を探してブラブラしていた。
ふと気づくと、カメラがない!!さっき胸ポケットに入れておいたのに!!
僕は何度もその場を往復して、それは無駄なことだとついには諦め、それでも諦めきれない心を抱えたままとぼとぼと帰り道を歩いていた。
突然呼び止められて後ろを振り向くと、
死にそうなほど息を切らしてあえいでいるチベットのおばちゃんがそこにいるではないか。
僕を追いかけてきたのだ。こんな小さな体で。
僕はすべてをその瞬間に悟った。しかし信じられなかった。
おばちゃんが八角街の闇市の裏に連れて行ってくれると、そこには僕のカメラがあった!!
英語のできる通りがかりのチベットおじさんが話してくれたことによると、盗まれる瞬間を見ていた闇市のチベットの人たちが、みんなでお金を出し合ってその盗んだ人から買って取り返してくれたというのだ。
言葉もでなかった。それに、だって、言葉なんて通じやしないのだ。そんな男のために彼らは身を削ってくれたのだ。
僕はなんとかお礼をしようとその人たちのところへ何度も足を運んであれやこれや試みた。
しかし結局はいつも僕のほうがまたなにかしら親切にされて歯がゆい思いで帰ることになった。
僕はすっかり彼らになついてしまった。

朝起きる、さあ、今日は何しようか。
ガングレイたちと一緒に考える。

とりあえず、チベット喫茶にでも行こうか。
そのへんの市場をさまよってもいい。
腹が減ったらいつもの「ファスト∩グッド」(ガングレイが名もないレストランに付けた名前)に行こう。
僕はちょっとあの人たちに会いに行こうかな、すぐそこで今日もまた闇市を開いているはずだ。
夜はどうしよう。ガングレイのつくった料理をみんなでワイワイ食べてもいい。ポタラ宮のそばでバーベキューをしたっていい。酒を飲んで、クラブに乗り込んだっていい。
なにもかもが自由だ!!

この街がこのままずっと変わらなければいいと思う。

足を失い、道で恵みを乞う人の手に、あれほどの札束が握り締められているこのままの街であってほしいと思う。

でも、それはかなわぬ夢なんだとも思う。

すぐそばの地域では、漢民族による大規模な都市開発が着々と進行中だった。

それが、この昔から変わらないだろう街の風景を飲み込んでしまうのも、きっと時間の問題だ。

青蔵鉄道に乗って西安からチベットに行く計画は、友達に教えてもらった。
当時、この鉄道はできたばかりで、海外を旅するなら乗ってみたい、
と言っていたのだ。

そんなに長い時間、乗り物に乗って移動することはあまりない。
国土の小さな日本では難しい。

特別な経験だった。

窓からの景色はただただ素晴らしかった。

青蔵鉄道の車窓からの景色
青蔵鉄道と共に
祈りを捧げる人たち
ラサの露天
ガングレイ
山の少女たち
ある町の寺院
寺と僧侶と花

ラサは今は入ることが難しくなっている。
政治的な問題や治安、感染症等様々な理由によって、当時は自由に行けていたのに、今は立ち入ることさえできない場所が増えている。

世界はオープンになっていくだけだと信じていた。

でも、違った。

あの当時、自由に旅ができたのは本当に幸運だった。

やりたいことを、

やれるタイミングがあるなら、

やるべきだ。

そのチャンスは2度と巡ってこないかもしれない。

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