2007年3月16日 中国 無錫より 朋友

世界一周ブログ
無錫は予定外の町だ。
この町に立ち寄るつもりはなかったし、なにより存在すら知らない町だった。
僕がこの町を訪ねることになったのは、友達が待っていたからだ。


フェーフェンとツァイドゥン。

彼らにもう一度会うためだ。


無錫は、上海から特急列車に乗って約4時間の中規模の町だった。
到着するとすぐにフェーフェンが迎えに来てくれた。
平日で仕事中だったのにわざわざ抜け出してきたのだ。
すぐにホテルにチェックインして、ツァイドゥンのオフィスビルまで行った。
フェーフェンが携帯で連絡すると、間もなく大きなニヤリとした笑みがビルから現れた。ツァイドゥンだ。
無錫で小籠包が一番おいしいと評判の店に僕をつれていってくれた。

僕らは出会ったばかりで、お互いのことをよく知らなかったけど、僕は彼らとはずっと前から友達だったような気がした。

フェーフェンは気さくにしゃべる優しいヤツで、友達の輪の中心にいるようなタイプだ。眼鏡をかけていて、それが彼の郵便局員という仕事にピッタリとあっている。

ツァイドゥンは少しふとっちょで、イタズラ好きそうな笑い方をする面白いヤツだ。自衛隊の服を着て戦争ゲームをするのが彼の最高の趣味だ。もちろん中国の一般の人にそんなお金のかかる趣味はもてない。彼は小さな会社の社長でお金持ちなのだ。北京大学を中退してビジネスを始めたというから、さながら中国版ホリエモンか。


彼らには上海のドミトリーで出会った。
僕が上海に到着した時、たまたま1日だけ同じ部屋に泊まることになったのが彼らだった。
次の日の朝、二人が出発する時にアドレスを残していってくれた。
それからしばらくメールのやりとりをした。
そして、彼らは僕を地元に招待してくれたのだ。


それからの数日間はとても楽しかった。

フェーフェンとツァイドゥンと、フェーフェンの彼女と、彼らのたくさんの友達たちと一緒にワイワイ騒いで食事をした。
ゲームセンターに行って本気になって勝負をした。
みんなでふざけながら、丘に登って彼らの街を眺めた。
みんなの趣味の写真撮影会について行って、僕も一緒になってモデルを撮影した。
マックでダラダラしながらいろんなことを話した。笑った。

僕は日本から遠く離れたこの場所に、自分の居場所を見つけたような気がした。それはとらえることのできないような小さなものだったけど、たしかに僕の心の中にあった。

フェーフェンは僕の旅がうらやましいといっていた。
彼には仕事があり、長期の休みでさえ一周間しかなくて、僕のような旅はできない。
大学生活はどうだったのかと聞いた。
中国の大学生は日本と違ってとても忙しくて、彼の大学生活も勉強で終始してしまったのだそうだ。
彼にとっては人生のモラトリアムはどうやっても手に入れることのできない夢の話だ。

僕は、大学生というこの自由な時間を与えられているだけでとても幸せなのかもしれない。

[きっとこの旅で、君は僕よりも中国の土地をたくさん踏むことになるだろう]

中国と日本の話をしていた時に、フェーフェンの言ったこの言葉を思い出した。

国を語るためにはその国を知らなければならない。

だけど、国を知るということはどういうことだろう。どうすればできるのだろう。

その国の土地をすべて歩き尽くすことだろうか。
その国の言葉をしゃべれるようになることだろうか。
歴史を勉強することだろうか。
一つの街に住んで、その土地の人と同じ生活をすることだろうか。

どれもしっくりこない。

きっと国を知ることなんてできないんだ。僕たちは、たまたまつかんだ欠片からしかその国をとらえることができない。
それは外部の人間に限ったことじゃなくて、その国に住む人たちだって同じなのだ。

僕は日本を知っているだろうか。

僕には、日本を語ることはできないや。


無錫旅情。

祖父に中国の印象を聞いたとき、ポツリとつぶやいた。

祖父はバンドマンだったので、

無錫旅情が演歌かなんかの曲だということは何となくわかった。

でも、曲の作者にとってはどんな旅情なんだろう。

なぜ、無錫?

無錫はこれといった観光地もないし、本当にマイナーな街だった。

僕にとっての無錫は友達が待っていた場所。

震災の時、フェーフェンがメールをくれた。

大丈夫かと。

それ以来、連絡をとっていない。

僕にとって初めてできた中国人の友人達。

僕はこの時に知った。

中国人と日本人にあまり大きな違いはない。

ただ、生きている国が違うだけ。

ツァイドン
彼女を撮るフェーフェン
僕が撮ったフェーフェンの彼女

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