社員のみんなと目標について話し合う機会があった。
幹部の一人が言った。
「僕の目標は年収1000万円です。」
そっか。
じゃあ、次。
隣に座っていた幹部が言った。
「目標は年収1000万だね。」
。
。
。
モヤモヤ。
そっか、そーだよな。
僕はその時の自分の感情を言語化できなくて、
何も言わず、ただ彼らの目標を聞いた。
でも、モヤモヤしていた。
なんか求めているものと違う。
しかし、僕が今いる環境の真実であった。
年収1000万円。
なぜ1000万円なのか。
一応、僕はその質問を彼らに投げた。
答えは、
ゴニョゴニョっとして判別できなかった。
僕は、ある意味、その世界を捨てて、今ここにいる。
そんなものどーでも良いと思ったから、捨ててここにきた。
で、たどり着いたこの場所で、
僕の周りの人たちは、その僕が捨ててきたものを夢見ていると言う。
僕の目標は、多分、僕一人だけが持っているもの。
僕はチームのみんなと同じ目線に立っていない。明らかに。
「金とかどーでもいいじゃん。」
それはこのチームの中で、僕だけが言えることであった。
周りに強要することはできない。
まだ周りのみんなはその世界に触れて、実感したことがないのだから。
(実際、年収1000万円など、全然大したことないのは、また別の話。
田舎人の年収1000万円は、東京人の年収2000万円くらいの購買力があるので、一定の成功レベルではあると言って差し支えないとは思う。)
年収1000万円を経験したことがあるからって、
別にその世界から物質的な何かを持ってきて、今ここにいるわけではない。
僕と彼らと、現在の境遇は何にも変わらない。
決定的に違うのは経験したかどうか。
たぶん、そこに憧れる人は一度経験しないことには変わらない。
僕の言うことが理解できない。
その幹部は言う。
「まずは年収1000万円早く欲しいです。
僕がもらうからには、先輩ももらってもらわないと。
幹部はみんなその水準をもらえるよう頑張りましょう」
僕は苦笑する。
「全然要らない。
だったら、今と同じ給料でいいから、仕事の量を5分の1にしたい。
金よりも、自由が欲しい。
金、必要ない。
だって、実際、使い途ないもん。
1000万円もらえるなら、
僕の取り分は今のままで、僕専属で働いてくれる人をあと2人雇わせてくれ。」
そう言っても、理解されない。
嘘、詭弁だと思われる。
そのくらい日本人は金に毒されているのだろうか。
僕が欲しいものは、
やりたいことを、やりたい時に、やれる力。
僕はそれを自由と呼ぶ。
自由には、年収とかいう概念は意味がない。
やりたいことに金は実際よく必要になる。
でも、必ずしも僕のポケットから出てくる必要はない。
僕が大切だと思うのは
何がしたいのか。
であって、
金は必要な分だけ集めてこれれば、何の問題もない。
金は手段であって、求める状態ではない。
金それ自体は、例え所有しても通帳に載っている数字の羅列でしかない。
手段を目標にすることの虚しさ。
モヤモヤの正体。
『年収1000万円が目標です!!!』
それ、イコール何にも目標がない、に等しい。
いや、僕は本当はわかってる。
年収1000万円には、
安心
や
優越感
選択肢
快楽や贅沢
といったイメージが付随している。
年収1000万円を求める人の心理、本当の目的にも違いがある。
多分、1人目の幹部が本当に欲しいのは 安心。
2人目の幹部が本当に欲しいのは 選択肢。
真実の目標を言うのが恥ずかしいから、
年収を言ったのかもしれない。
周りのみんながそれを欲しいと言うなら、
まず達成してあげなきゃいけないんだろうな。
会社が社員に提供できる最も公平なものが金であるのも事実。
金があればそれぞれ欲しいものが手に入る。
それ以外の「やりがい」とかを会社側から強要するのも間違い。
しかし、年収1000万円。
結構ハードルが高い。
1000万円を幹部一人一人に払えるほどの商量と利益率を叩き出すのは、
田舎では結構難しい。
もし人材として達成しようとするなら、
かなりのものを犠牲にしなければ達成できない。
でも、まあ達成できる道筋を作ってあげようと真剣に考えてはいる。
人材としての1000万円はこの地域ではファナックでもない限り無理。
だから肝になるのはストック。
それぞれがキャッシュフローを生み出すストックを持てるようになれば、目指せる。
そういう道筋。
まあ、僕は、要らないけど。
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