日本の赤ちゃんのおしりはオムツでパンパンにガードされている。 それが当たり前だと思っていたが、こと中国においてその常識は通用しない。 全く逆だ。 赤ちゃんの服のお股には丸い穴が開いている。 人間において一番大切な部分が丸見えだ。 なぜそのような構造になっているのか、少し考えを巡らせればわかりそうなものだが、 僕は深く考えなかった。しかし、身をもって体験することになった。 その日も僕はバスに乗っていた。街から街をつなぐ長距離バスだ。 中国では鉄道の便数が少く、なかなか切符をてに入れることができないが、 バスの切符は容易に手に入れることができる。バスのほうがいくぶんか高いが時間のほうが貴重なため、 今日も仕方なく乗っていた。 隣は運良く人が座らなかったので、僕は快適に過ごすことができた。 通路を挟んだ反対側の席には赤ちゃんをつれたお母さんが座っていた。 バスの旅は快適で本を読んだり、景色をみたりして僕はのんびり過ごしていた。 本を読むのにも飽きてきたころ、ふと隣を見て度肝を抜かれた。 お母さんが赤ちゃんを駅弁の体勢でこちらに向けている。 発射口はまさに僕に照準があてられていた。 もう少し下だろ!!通路は!! っちゅうかここでそれをするのか!? 心のなかで叫んだが口に出して言うことはできない。 ここで大声をだしたり、あわてて席を立ったりすれば赤ちゃんに対して人情の無い、 非常識な人間だと思われるだろう。それは最も避けるべきことだ。 しかたない。ままよ。 僕はできるだけ窓に体をへばりつけて静かに来るべき時に備えた。 。。。 ちょーーー びちゃびちゃびちゃびちゃ。。。びちゃびちゃ。。。 ぴちょ。。ぴちょ。。 ぴ。。。。 ぴ。。 止まったようだ。 赤ちゃんの膀胱の筋肉が発達していなかったことに助けられた。 おしっこは、僕の隣の席の足場を水溜まりにするに留まった。 助かった。 僕は安堵の気持ちに包まれた。 しかし、その数分後にトイレ休憩でガソリンスタンドにバスが停車した時、 僕は怒りを覚えずにはいられなかった。 発射は道中あと2度ほど行われ、その後目的地についた。 通路には赤ちゃんのつくった川が運転手さんの方まで続いていた。 |
当時の中国はまさにカオス。
常識など存在しない。
話のネタに困ることがなかった。
そんなカオスな世界が僕は好きだった。
発展してくるとこういうのが無くなっちゃうのが寂しいよね。
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