できることなら着の身着のままで、

自分のこと

会社の金を横領したり、人を騙したりした金で、

豪華な生活を楽しんで捕まったというニュースが後を絶たない。

大抵バレる理由は、給料に見合わない生活をしていたから周りにチクられて。

浅はかだなと思う。

僕は今までいろいろ経験をしてきた。

遊びは僕にとって経験を得ることだったので、使うお金を惜しまなかった。

世界一周に出かけた時は、やりたいことをやりたいだけして遊んだ。

学生時代から夜遊びも沢山したし、

社会人になってからは海外で割と良い生活もした。

もちろん、金持ちの遊びは上を挙げたらキリがないけど、

家賃月60万円くらいのところに住んで、

一人数万円するレストランに通い、

パーティーをして、遊び歩いた。

海外を飛び回る仕事をしていたので、

ビジネスクラスや、たまにファーストクラスに乗って、

いろんな国のハイグレードなホテルに泊まった。

一般人が想像できる常識の範囲での贅沢は結構してきたと思う。

その中で結果的に思ったことは、

「こんなもんか」

だった。

「僕には必要ない。」

それが結論。

だからその生活を捨てることに特に未練はなかった。

そんな僕もかつて物欲がなかったわけではない。

カッコつけるためにオシャレな服はいくらでも欲しかった頃がある。

でも、そういう欲望はすっかり消えてしまった。

服に金を使うのは、オシャレが好きだからではなく、身に纏うもので少しでも自分のレベルを高めようとする自信の無さに過ぎなかった。

自分に確固たる自信がある今や、

別に高い服を着て武装する必要がなくなって自然とやめてしまった。

贅沢をしても対して面白味を感じず、それはお勉強のためという側面が大きかった。

強烈な体験。

海外を放浪していた頃。

僕の持ち物はバックパックの中にある物だけだった。

自分で背負って運べるだけの物で、生活した。

なんていう身軽さ。

どこにでも行ける自由。

どこでも生きられる自由。

その自由の素晴らしさに比べたら、物を所有することなど煩わしいだけ。

着の身着のままの小汚い雑なライフスタイル。

その気楽さに比べたら、着飾った贅沢な世界なんて窮屈なだけ。

ちゃんとしたものを着ろと、周りに心配される。

僕の持ち物は年季が入ったボロばかり。

僕はそういうものが好き。

思い出を大切にするとかじゃなく、単に雑に扱えるから。

汚したり、傷つけたり、壊したりするのを心配して、大切に物を使うっていうのが僕には窮屈で仕方がない。

雑に使って、壊れたら捨てる。これが一番楽。

物は、自分が買うのはもちろん、もらうのもあまり好きではない。

物が増えるより、少なくなったほうが嬉しいから。

ミニマリストの考え方に近いのかな、と思う。

ただ貧乏性な側面もあるので、一旦自分のものになると、使えるものをずっと使い続けてしまう。

捨てる時でも効果的な利用法やリサイクル法を考えてしまう。

捨てるのも苦手だし、面倒だから、新しいものが尚更欲しくないという考えに行き着く。

これだと新しい物に触れないから時代に取り残されて、ビジネスの世界では戦えないという弱点は理解している。

だから、仕事のための調査研究費と割り切って、

わりと新しい物を意識的に取り入れるようにしている。

でも理想は、パックパック一つで生きていきたい。これからも。

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