香港から山梨に帰ってきた ので今日までちょっと振り返る

自分のこと
僕以外だれも乗ってないヒコーキ

香港の生活を離れて3月末に日本に帰ってきた。

ようやく山梨の生活にも慣れてきたので、ちょっと振り返ってみる。

3月の香港はコロナが深刻になって、生活するのがどんどん窮屈になっていた。

思えば、去年のデモからずっと香港はつまらなくなり続けてた。それに加えてCovid-19。

みんな外出しないし、集まらない、街には人がほとんどいない、大きなコンフェレンスやイベントも全部中止。

老舗の飲食店がどんどん潰れた。

フライトも次々キャンセルされて、海外に出るのすら難しくなりそうだった。

一時期は年間100本飛行機に乗るくらい香港を自由に出入りしていたので気づかなかったけど、このままじゃ外に出れなくなりそうと実感して初めて思った。

香港ってめちゃめちゃ狭い。。。

8年間住んで、香港は都心も郊外も離島もほとんど全部行き尽くしていた。もう行ったことのない場所なんて残っていなかった。

今更この香港に閉じ込められて、やることない。

香港で新しい事業を始めることも考えていたけど、状況の激変でそれどころじゃなくなった。というか、僕の考えていたビジネスモデルに対するニーズが全くない世の中にほんの数ヶ月でなってしまった。

仕事をしていく上でも香港では全く展望が見えなくなった。

移動できなくなり、仕事もなくなった僕の唯一の楽しみは人と会うことくらいだ。

香港人はSARSの怖さを知っているからCovid-19への対応は笑ってしまうくらい早かった。マスクをしていないで出歩くことがまるで全裸で歩くかのように恥ずかしく感じた。

香港人が街から消え、香港人友達とも会えなくなった。

しばらくは日本人の友人たちと暇を潰して、ケンコーラーメンに入り浸り、セントラルで欧米人友達と飲んでいた。

セントラルにいる欧米人たちは、香港人たちとは異世界に生きていた。

3月半ばまで、マスクをしている人間なんて全く見かけなかった。

週末のPeel Streetは以前と変わらず、肩をぶつけないと歩けないくらい路上に人がごった返していた。このExpatコミュニティが最後の息抜きの場所だった。

3月17日

だけど、3月下旬にもなると、セントラルでバーホッピングをしていたフランス人旅行者からCovid-19の感染者が出たというニュースが流れた。

全く世の中の状況などお構いなしに生きているだろうと思われた欧米人たちが忽然と街から姿を消した。

週末の夜、人がいなくなったPeel Streetを見て僕は思った。

潮時。。。

一刻も早く香港から出たい。。

運良く香港が完全閉鎖される数日前に、僕は香港を脱出した。

乗った飛行機には乗客がほとんどおらず、乗務員のほうが多かった。

ビジネスクラスには自分一人しかいないので、気まずいくらいフライトアテンダントの人達が話しかけてきた。

「フライトも無いのでこれからウーバーイーツを始める相談をみんなでしているですー」と言っていた。

空港に着いて待ちかまえていた検疫は場当たり的なもので、質問だけで通してくれた。

フライトアテンダントや友人たちは家族が迎えに来ていると嘘をいえば自由に公共交通機関にも乗れると言っていたけど、僕はレンタカーを乗り捨てで借りて山梨に帰った。

2週間のホテル待機は、家族や友人がいろいろ差し入れを持ってきてくれたので、全く快適だった。

人生で二番目に長く住んだ場所を離れて、一番長く住んだ山梨に戻ってきた。

窓から見える富士山はとてもキレイだった。

子供の頃当たり前だと思っていた景色が、世界的にも特別なものだと知ったのはつい最近のこと。

コロナ待機が終わって、緊急事態宣言の日本から僕の新生活は始まった。

東京とか大都市は感染者数が急増していて、自粛自粛と言っているのはわかる。

でも、感染者の出ていないこんな田舎でも、みんなちゃんとマスクをして外出しているのに少し驚いた。

影響力が減っているなどと言われているけど、やっぱり日本ではテレビの影響力ってすごいんだなー、と改めて思った。

生活はガラリと変わって、この町に今住んでいることに時々新鮮な驚きを感じる。

でも、こういうのも慣れていって日常になるんだろう。

先日、山梨では緊急事態宣言が解除された。

車の生活にはあまり移動の制限がかからないので、緊急事態宣言中ほとんど不便はなかった。

残念なのは、大好きなサウナにいけなくなったくらい。

そろそろ営業再開されるんだろうか?

車を持つ生活って初めてなので、車検費用やら保険やら税金やら燃料費やら、安い車乗ってても結構お金かかるんだなーとしみじみ思う今日このごろ。

郵便局で、着払いという単語が出てこなくて、窓口の人とうまくコミュニケーションが取れなかった。日本語、というか日本人の常識、僕、欠落していることに気づく。

文章を書くのは得意だったのに、今、これ書いているのもしんどい。日本語の単語を結構忘れてしまっている。

ゴミ出しというのもよくわからない。ゴミ出しの曜日とかあるけど、いつに何を出せばいいか、どうまとめればいいかよくわからない。香港では粗大ごみだろうが何でもかんでも全部その辺に捨てとけば次の日には消えてたのに。これも日本の不便なところ。

町にゴミ箱ないのもしんどい。香港にはたくさんあった。デモのせいで燃やされて結構消えてしまったけど。日本ではどこで捨てればいいのか、みんな不便じゃないんだろうか。

逆に、便利なコンビニの快適さには最近感激しなくなってきた。甘いものを食べすぎて太りそう。日本では甘いものが安い気がする。

ハンコにも慣れない。どうして、いちいちハンコなんか持ち歩かなきゃいけないのか。ハンコだけじゃなくて、たいてい朱肉も持たないといけないのだ。三文判でもいいのならサインでいいじゃん。

地元の人達が使っている略語も未だに慣れない。例えば地場の銀行では県民とか信組とか金庫とか。

何がどこで売っているのか、どこにどんな店があるか、みんなが当たり前のようにしている場所の話もイマイチついていけてないので、少しずつ覚えている。

SIMの買い方、ネットのつなぎ方、保険証、年金、よくわからないこと多いので友達から色々教えてもらいながらひとつひとつ処理している。

気づいたらこの1ヶ月英語も中国語もぜんぜん使っていなかった。

山梨にいたら、日本語に慣れて、外国語なんてすぐに忘れちゃうんだろーな。

コロナ待機の2週間が終わってからは怒涛のように忙しい。

出資している会社がCovid-19のせいで死にそうになって、悟空早くきてくれー的に社員のみんなに助けを求められ、帰ってきた途端戦いが始まって、立て直しに一日中追われてる。その辺の仕事のことをこのブログではとりあえず書いていきたいと思います。

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