ヨギさんに出会ったのは上海郊外の周荘という水郷の町だった。 その日、僕は周荘の1日観光ツアーに参加していた。 ガイドのまくしたてる中国語は当然のことながら全く理解できず、かといって見慣れてしまった中国古居群の風景にも飽きてしまって、僕はすっかり退屈しきっていた。 [日本人ですか?] その時声をかけてくれたのが、ヨギさんだった。 彼はカナダ人の36歳で、日本に英会話教師として数年間住んでいたことがあるそうだ。彼のような誰の目から見ても明らかな欧米人の口から流暢な日本語が飛び出してきて、僕はとても驚いた。 僕は彼とともに行動したほうがきっと面白いと判断し、周荘観光もそっちのけでツアー団体から離れ、彼のグループとともに1日を過ごした。 その別れの時、またいつでも連絡してきていいよと、彼は僕に連絡先を教えてくれたのだった。 次の日上海を発つという日になって僕はどうしてもヨギさんにもう一度会いたいと思い、彼に電話をした。 ヨギさんは快く夕食をともにする約束をしてくれた。 南京西路の駅でヨギさんは中国人の彼女とともに現れた。 中国のレストランは一人では入りにくい。 中国人は一人で食事をとることを嫌い、いつも大勢なので一品一品の量がとにかく多いのだ。 独りだといつも一種類のおかずしか口に入れることができない。 今日は3人でいろいろな料理を食べることができたのでとても嬉しかった。 ヨギさんは台湾に2年間住んでいたことがあり、そこで中国語も覚えたのだそうだ。 僕に話す時は日本語、彼女に話す時は中国語、二人が理解できるように話す時は英語と、3つの言語を使い分けなければならず、彼はとても忙しそうだった。 ときどき僕に間違えて中国語で話してしまったり、彼女に間違えて日本語でしゃべったりしてしまうのがおかしかった。 一つの言語でものを考えている時、ほかの言語に急に切り替えるのはとても難しいのだそうだ。 人間の脳みそはとても面白い。僕にはまだその感覚が理解できない。 何カ国後もしゃべれるというのはどういう世界なのだろう。その世界に僕も足を踏み入れたいと思う。 ヨギさんは自分の名前を中国語で発音の近い[旅狗]と漢字で書くことにしたのだそうだ。 彼が犬年生まれであるということと、故郷を捨てあてもなくふらふらとさまよう人生を送っているという意味が込められている。 中国では犬はあまり縁起の良い動物ではなくよく反対されるらしいが、彼はこの名前が気に入っているようだ。 日本人というのは概して保守的な人種で、とても固定された生活を送る。彼のような生き方をする人はとても少ない。 僕もやっぱり日本人で、ひとつの場所にずっと生きてきたから、彼のような人生にはある種の憧れの念を抱いた。 そういう彼もやはり寂しさはいつもつきまとうのだそうだ。 たとえもし、好きな人と巡り会えることができても、いつも頭の片隅には別れの時のことがあるんだ。 隣の彼女にはわからないように、ヨギさんは日本語でそうつぶやいた。 [あなたの旅では話しかけることがとても大事] ヨギさんのこの言葉を決して忘れないようにしよう。 旅の初めに、彼に出会うことができて、僕は本当によかった。 彼の言葉を忘れないようにしよう。 そう自分にいいきかせて、僕は次の街へ向かう列車に乗った。 |



今は、僕も長い旅の後、
ヨギさんと同じくらいの年齢になって3ヶ国語を喋れるようになった。
そう思うと、この時の出会いはとても感慨深い。
確かに、3つの言語を一度に使い分けるのは難しい。
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