手前がビル。奥がババ。 僕の”所有物”の中で、最も大切なものは何かと聞かれたら、 それはやっぱり「金」だ。 僕のもっているわずかばかりの「金」だ。 僕には、睡眠欲と排泄欲に次ぐ強烈な欲求として、なんというか、行動欲というようなものがある。 いろんなところへ行きたい。自分のやりたいことをしたい。 それを十分に満たすためには、絶望的に「金」が必要だ。 「金」がないと行動することすら満足にできない世の中だ。 単純な例だが、大切な友人に飲みに誘われた時、「金」が無いからというただそれだけの理由で、狭い部屋にこもり、擦り切れるほどやり尽くしたテレビゲームをこねくりまわしてやり過ごさなければならない事態ほど、僕にとってのハルマゲドンは無い。 しかしこのような選択を余儀なくされている人間は確実にいる。しかも決して少数ではない。 多くの学生の抱える罪悪のひとつが、「時間はあるけど金が無い」ということだ。 もし金が無ければ、なんとかして手にいれなければならない。 その時は大抵、労働という手段を選ぶことになる。 自分の「時間」を「金」に換えるということだ。 自分の人生を必要な「金」の分だけ捨てるということだ。 自分の人生がその分だけ短くなるということだ。 自分の貴重な時間をたった数枚の札のために捨てなければならないのか? 恐ろしいことだ。とんでもないことだ。ぜんっっっぜん割りにあわねぇよ!!! どっかの先生が言ってたけど、 「学生のうちは親に借金してでも遊んだほうがいい。くだらないバイトなんかで時間を潰してたら、ほんとに人生もったいないぞ。」 社会人になれば、みんなすぐに「金はあるけど時間が無い」になっちゃうのだ。 さぁ、みんな今すぐに親から借金をしよう!! さぁ、みんな今すぐに奨学金を申請して遊びに使いまくろう!! 僕は運良く、当面の行動欲を十分に満たしてくれるだけの「金」を手に入れた。 僕はその「金」をとても大切に使うし、間違ったつかい方をするのは大嫌いだ。 「金は天下の回りモノ」なんて言葉は絶対に信じない。 僕は、極めて慎重に「金」を使う。 自分の人生を守るために。 ようするに、僕はただ単純に自分がケチだということが言いたかったのだ。 遅延続きで永遠に到着しないのではないかと思えるような地獄列車と、肩幅の半分もないスペースに無限に閉じ込められるかと思われた地獄バスの終着点はカジュラホという村だった。 そんな思いをしてまでここまで来たのは、ひとえにsexを見るためだというのだから自分に笑えてしまう。 カジュラホは、官能的で精緻なsexの彫刻に彩られた寺院郡が観光客を世界中から集めている有名な村だ。 確かにそこは村だった。 貴重な寺院がぽつぽつと点在しているだけで、周りには高い建物は一切無く、家もまばら、人もまばら、ほこりっぽい土と緑に囲まれたのどかな場所だった。 宿を確保すると、すぐに友達ができた。 ビルというインド人の若者だ。 彼は日本人女性を妻にもっていて、日本とインドを行き来した生活を送っているらしい。確かに、今までのインド人とは違ってなんとなく国際的なもののしゃべり方をする男だった。恰幅のよい体つきをしていて、シモネタを言ってはヒャヒャヒャとよく笑ったが、その高い声と笑顔はとてもセクシーだった。彼の奥さんもその笑顔にやられたのかもしれない。 ビルは僕を村の沐浴場のほとりにある宝石店に案内してくれた。 そこはビルの友人の溜まり場だった。 ババという店主が経営しているようだったが、ほとんど営業らしきものはしておらず、一日ダラダラとみんなで笑って過ごしているようだった。一生懸命働いている人なんてインドでは少数派だ。 僕はババともすぐに親しくなった。 ババは細くて、少し老けていて僕のおじいちゃんに似ているからか、とても31歳には見えなかった。よくしゃべりぶっきらぼうだが、優しい男だった。 僕は彼らの仲間に自然と入れてもらうようになり、毎日遊ぶようになった。 カジュラホは小さな村なので、村を歩けば必ず彼らと出くわし、呼び止められるのだ。 今までのインド人に対する記憶が心に植え付けられていたので、完全に警戒心を捨てることができたわけではなかったが、それでも彼らとふざけて遊んでいる時間はとても穏やかで、平和で、楽しかった。 あるときはババとビルと僕で3人でバイクにまたがって村中を走り回った。 あるときは、車をチャーターして少し離れた洞窟まで遊びに行ったりした。 彼らはいつもとてもユーモラスだったし、僕との時間を純粋に楽しんでくれているようだった。次第に僕も警戒心は無用のものとして忘れていった。 彼らも僕に言ってくれた。 「今まではインドの中でも一番悪い地域にいたのだ。お前はインドに来たのだから、ホントのインドを知らなければならない。俺たちがホントのインドというものと、ホントのインド人というものを教えてやるよ。この村では、お前は何も心配することはない。ただ楽しめばいいさ。」 「お前は、金のことばかり気にしてるが、金がなんなんだ。何の価値があるんだ。俺たちにとっては重要じゃない。俺たちにとって重要なのは友情と信頼さ。それを大切にしていれば金は後からついてくるさ。」 僕は、やっとここでホントのインド人に巡り逢えたような気がした。 僕を、金としてじゃなく、人としてみてくれるインド人に巡り逢えた気がした。 この村はとても居心地がよかった。 でも、そうは言っても、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。僕の旅には続きがある。 僕は彼らに、出発すると告げなければならなかった。 出発の前日、いつもの宝石店で、僕は彼らにこの村を出ることを告げた。 「今お前は俺たちのことを何パーセント信じてる? お前は今、ハッピーか?」 ババは、僕と一緒にいるとき何度もこう聞いてきて、僕の気持ちを心配してくれた。 最後の日も、彼は同じことを僕に尋ねた。 「お前は今、俺たちのことが信じれてるか?ハッピーか?」 僕が言うべき言葉は決まっていた。それを僕はためらわずに口にだした。 「100パーセントだよ。僕は今ハッピーだ。君たちに会えてハッピーだよ。」 ババは言った。 「そうか、実は今、金に困っているんだ。200ドル今すぐ欲しいんだ。俺たちのことを信じているなら金を貸してくれないか? すぐに返すよ。10日後にはお前の口座にいれる。 俺たちはお前のことを信じてる。持って行きたかったらこの店の宝石をいくらでも先にもっていったっていい。あとで金を送ってくれることを信じてる。 お前も俺たちのことを信じてるんだろ?今俺たちは現金が必要なんだ。200ドル貸してくれないか?」 、、、? 、、、、、? 「?、、、、ババ、本気で言ってるの?」 「ああ、本気だ。金が必要なんだ。友情は信頼と助け合いだろ?困ったときは助け合うのが友情だろ?俺は今、困っているんだ。お前だってビルに助けられたじゃないか。さぁ、現金が無ければカードでもいい。 カードで今すぐ200ドル切ろう。」 、、、、カードが現金化されるのに何日かかるんだよ。ババ。10日後に返すって言ったじゃないか。。。。。 「本気でいってるの?」 「ああ、もちろん」 「本気で言ってるの?」 「本気だ?」 「ホントのホントに?」 「ああ。」 僕の顔に無表情に歪んだ笑みが浮かんだ。 「、、、もし、もし、もし、本気で言ってるんだったら、、、、 俺はお前のことを、、、絶対に!!、、信じられない。」 ぎぃーーーーっひっひっひぃひっひっ。しししししし 「本気な顔になっちゃって。冗談だよ。冗談。ひっひっひ こーーんなに、本気な顔しちゃって、ビル見た? ひーーーひっひっひっひっ」 ババは腹を抱えて笑い出した。 、、、、、 違う。こいつは、そんなんじゃない。 今のは、決して冗談なんかじゃない。 決してこの男の目は冗談ではなかった。 この男は、僕がカードを出していたら、ためらいなく200ドル切って返しただろう。 この男は、ただの商売人だ。結局頭の中は、、、「金」だ。 結局は「金」でできている。何が友情だ、何が信頼だ。笑わせるな。 しかし、僕はその瞬間にビルやババなど視界にすら入らないほどの恐怖に陥った。僕の思考は一気にグルグルと回転した。 友情、信頼、、、。 信頼のない友情が存在しえるだろうか。 僕には想像がつかない。 その二つは切っても切り離せないものだ。 それでは、信頼とは何なのだ?どうやって確かめられる? 僕にとって信頼とは、自分の最も大切なものをその人に預けられるかどうか、ということに等しい。 それは、物質的には、僕の宝物すなわち「金」をその人に預けられるかどうか、ということだ。 僕は、それができる友人こそ親友であると心の中で密かに決めている。 それは、果たしてその「金」が最終的には返ってこなくても、結局最後にはそいつを許してしまうであろう、というような類の信頼だ。そういう友人が日本には確かに存在する。 だからといって日本にいる僕の親友諸君は僕に借金をしようとは思わないでくれたまえ。できることなら、僕は自分の「金」を失いたくは無い。 それでは、僕は、この世界において、日本を飛び出したこの世界において、果たしてそこでできた新しい友人に、自分の「金」を託すことができるのであろうか。 僕は決定的に、絶望的に、終局的に、はっきりと理解した。 僕にとって、それは、とてつもなく困難なことだ。 それは、おそらく、、いや確実に、、、不可能だ!! 彼らに、僕の、大切な「金」を託すなんて、、、そんなことができるものか!! ということは、すなわち、、この世界において信頼することができる人に、親友に出会うなんてことは、僕にとっては、絶対に不可能であるということだ。 僕は、徹底的に孤独であると気付いた。 この世界で、徹底的に一人であると気付いた。 それが、これほどの恐怖であるとは知らなかった。 なぜ、僕は知らず知らずのうちに、人を求めるようになっていたのだろう。 光を見つけた。 そうだ。僕にはただ一つ、例外がある。 中国のフェーフェン達だ。 彼らは、僕にとって、まぎれもない友人だ。 何故だろう、、 そうか、 卑しいことに、それは単純だ。 彼らは決して僕から金をとらなかった。ただそれだけのことだ。 もし、僕が、真の友人を求めるならば、 僕は、自分からは何も与えず、ただ相手から親切と善意を要求するようなずうずうしく傲慢な旅行者にしかなり得ない。 そんな自分を想像すると、さらに嫌悪感が上から圧し掛かってきて、僕は出口を求めようともがき、その甲斐も無く思考の海に深く深く飲み込まれていった。 僕は「金」によって自由を手にいれた。 しかし、同時に、今僕は「金」によってある種の自由を失っているようだ。 何かを変える必要があるのかもしれない。 でも、どこをどう変えればいいのだろう。。 次の日、出発の朝、ビルがバススタンドに見送りに来てくれた。 ババは、そこには現れなかった。 僕は、心底ほっとした。 |
当時、僕は学生としては大金を持っていた。
でも、自由人になった僕には稼ぐキャッシュフローはなかったので、
大金は使っていくほど減っていくものだった。
とてもお金を大事にして、慎重に使っていた。
お金を与えられては喜び、払わされてはガッカリする。
そんな金の支配する世界観に僕は生きていた。
そして、まさにインドは現実世界に具現化したお金の国だった。
僕はバチバチにその世界でやり合った。
で、負けた。
負けて逃げ出した。
人と金。
両方ともをとことんまで大切にして、かつ両立させる方法がわからずに逃げ出した。
かつての僕はお金を大切にしすぎて、いくつかの大事なものを逃したと思う。
じゃあ、今の僕はどうなのか?
当時のような金への執着はもうない。
それは、ある程度やりたいことをやり切ったから。
やりたいこととお金とのバランスの問題にすぎない。
自分が生きる上で、お金が制約になっていないから執着していないだけ。
もし仮に、
自由を失いかけ、お金で解決できるのに、肝心のお金が足りない、
という事態に置かれたら容易に考え方が変わる可能性がある。
日本社会では、こんなに露骨に金を出せと要求されない。
皆、慎重にお金を隠し、ちまちまとやり取りして生きている。
人間関係に極力、お金が関わらないようにしている。
だから、僕がインドで日々直面したような事態に陥ることは少ない。
一度、真剣に向き合ったらいいと思う。
金を取るのか、人を取るのか。
もし金を要求されたら、その相手はその日から友人ではなくなるのか?
金をもらえたら、その相手はその日から親しい友人になるのか?
お金は、時間。時間とはすなわち命。
お金のやり取りは命のやり取り。
命をやり取りするだけの覚悟を持って、
あなたは目の前の人を大切にしようとしているのか?
あー、こんなこと考えてたら、
億男という映画を思い出した。
面白い映画だったから、小説も読んだ。
ある日、親友が主人公の大金を持って忽然と消える。
主人公の親友はお金とは何かを追い求めていた。
その親友を探す旅の中で、
主人公は色んな登場人物の、
色んなお金に対する価値観に出会う。
最後に主人公は親友にたどり着く。
お金とは何か、
親友からその答えをもらえると思った。
しかし、答えは語られなかった。
お金とは何なのか?
僕の答えは明確だ。
お金とは命。
お金のやり取りとは、命の小出しなやり取り。
ただ、自分が十分生きて死ぬまでに必要なお金の量というものがある程度、存在する。
その量のお金が死ぬまでに手に入る目処が立っているなら、
それ以上の分は要らないんじゃないかな?
要らないってことは、誰かにあげればいいんじゃないかな?
あげるにしても、一応は自分の命なので、
自分の好きなようにあげればいいんじゃないかな?
僕はそのくらいに考えている。
というか、金について昔ほど執着して考えていない。
執着しなければ、人はもっと自由になれる。
「必要な時は気前良く払おうよ。
必要なければ、そんなもの忘れてしまおう。
肝心な時に切羽詰まらないように、楽しく経済活動して生きよう。
自分が必要な分くらいは稼げるという自信があれば、何も怖くない。」
僕は、かつての僕に、そう教えてあげたい。
でもな、言っても無理なんだよな。
当時の僕がその考えにたどり着くためには、
経験が、まだたくさん必要だったから。
勉強が得意なくせに、机の上で勉強したことじゃ納得しないのが僕なのだ。
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