日本からずっと離れたこんな場所にいるのに、 いつも見る夢の中で、僕がいるのは日本だった。 日本にいて、昔僕の居場所だったところにいて、いつも周りにいたみんなが当然のようにそこにいて、真剣に笑ったり、悩んだり、怒ったりしている。そこにいる僕はとても楽しそうだ。 あまりにリアルなもんだから、夢から覚めたとき、ふと自分がどこにいるかわからなくなる。 僕が今いるのは、日本ではない。 周りには、誰一人かつての仲間はいない。 道を歩いているとき、ふと頭の中に浮かんでいるのは昔の思い出だ。 最高だった日々を思い出して、にやにやしている自分に気づくのは奇妙なもんだ。 こんなんだから、いつもみんなににやにやしてるって言われるんだよな。ちぇっ ルンビニーには、ブッダが生まれた場所に小さな寺があって、その周りをかつてどんな様子だったかなど想像の仕様もない価値があるのかないのかわからないような寺院の遺跡が地面から生えているだけだった。 なんだかよくわからないが貴重なものらしいコンクリートの棒みたいな塔と、ほんとだかどうだかよくわからないけどブッダの母が沐浴したという人工的な池があった。 ただそれだけだった。 さすがにそれでは世界遺産として観光地化し人を集めるには見所がなさすぎるのだろう、日本人の誰だかがいろんな国から寺を誘致して建立するプロジェクトが進行中らしい。 そんなド田舎の、どこまで続くかわからないようなひたすら長い道をさまよい歩きながら、僕の頭の中に浮かんできたのは、やっぱり昔の思い出だった。 そういえば、昔アホのボイスパーカッションにのっけてスマップの「世界に一つだけの花」をみんなでハモらせて発表したことがあったっけか。 あれはくだらないけど面白かったな、 すこしの間その歌を気持ちよく(そんな歌でなんで気持ちよくなれるのか後になって考えるとはなはだ疑問だが)口ずさみながらすこし体もリズムをとって道を進んだ。 「せーかいーにひーとーつだーけーのはーなー。 ひーとりーひとーり ちがーうたーねーをーもつ そのはーなーをー さーかーせーる こーとーだーけに いっ しょーう けーんめーいに なーればーいーいー」 しかし、サビまでいくととたんに嫌悪感につつまれて唄うのを止めた。 なんだオンリー1って。 オンリー1ってやつがどうにも癪に障るな、なんか負け犬じみてる。 ナンバー1になれなかった奴の苦し紛れの言い訳じゃないか、こんなもの。 「花はどれもきれいで、争うこともしないで、バケツの中ほこらしげにしゅんと胸をはってっている。」 うそだ。それは、花の種類が違うからだ。 人間だって、アフリカ人と競争しようとする日本人はそうはいない。 花も同じ種類になれば、どの花が一番虫を惹きつけることができるか、きれいに咲くことができるか競争しあってるじゃないか。 競争は、生物の本能だ。 ナンバー1を目指すのは、生物の宿命ってやつだ。 しかし、僕はそのナンバー1ってやつに果たして興味があったっけ。 そんなものにホントのところ大した興味はないな。 もちろん、他者との競争っていうのはとても楽しいものだけど。 じゃぁ、僕もそのよくわからないオンリー1ってやつになりたいのかな。 そうでもない。そんなもの、皆が皆目指しだしたら、お互いを比べあって他者がもっていないものを求めるという、またよくわからない競争が始まるだけだ。 他者と違うかどうかなんて興味はない。 まるっきり同じだったってかまやしない。 僕にとって、僕は僕だ。 僕が興味のあるのは、 自分の人生を完遂すること。 これだけだ。 こんな唄のことを真剣に考えてるなんて、 僕はいよいよ正真正銘の暇人だな。 なんて幸せなんだ。 |
暇だと色々なことをあれこれ考える。
大きい問題がある時は大きい問題で悩む。
大きい問題がなければ、中くらいの問題で悩む。
中くらいの問題がなければ小さい問題で悩む。
小さい問題がなくても、何か問題を探してきて悩む。
結局、僕は暇になって、悩みなんかあるはずもない生活をしていても、
ずっと何かをいつも考え、悩んでいるんだなとわかった。
ネパールは、中国とインドの間の経由地だった。
そこではお金目当ての友達ができた。
バイクを持っていたので、いろんなところに連れてってくれた。
その友達に食べさせられた、ハエのたかりまくったローカルフードで、
ものの見事に食中毒になり、
後半はずっと腹痛に苦しめられる旅だった。
あの秘境感。奥地の楽園に来た感は忘れられない。
カトマンズはバックパッカーの聖地だった。
地震でたくさんの建物が崩壊する前のカトマンズ。
カトマンズは遺跡の宝庫で、居心地が良くて、物価も安くて、
ようは最高の場所だった。
バックパッカーには沈没という、
ついつい長く滞在して堕落してしまうことをいう言葉がある。
カトマンズは沈没者が多かった。
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