レストランで下っ端として働いて、
シェフから毎日ボロクソに批判されながら、身を粉にして働いていると、
やっぱり心が荒んだ。
人間はとても脆い。
どんな屈強な漢であっても、人の心はとても脆い。
確かにシェフと僕との間には大きな差がある 。
厨房での経験は20年以上違う。
その大きな差は、一朝一夕で埋めようもない。
批判をするところを見つけたら、挙げきれないほどあるだろう。
それが片っ端から目についてしまってイライラするのも、
わかりすぎるほどに、わかる。
でもさ、こっちも日々真剣に戦ってるんだよね。
向こうにとっては取るに足らないかもしれないけど、
一つ、一つ、着実にできなかったことが、毎日少しずつできるようになっている。
そのできるようになったことを褒めてくれれば、どれだけ救われるか。
ああ、褒めてほしいなあ。
そしたら、もっと、もっと頑張る力が湧いてくるのに。
心の底から、渇望した。
褒めてほしい。
世の中には、褒めてくれる人は本当に少ない。
褒める、ことの価値にみんな無自覚だ。
こんなに無料で、効果のある、人を動かす術はない。
褒めて伸ばそう。
そういう言葉も使われる。
だから、みんな、褒めることが良いことであるとわかっているはず。
わかっているのに使えない。
なぜだろう?
それは本質的に、皆、人は怠け者である、と思っているから。
自分が怠け者だから、他人も怠け者だろうというフィルターで見ている。
この程度のレベルで褒めたりしたら、
現状のレベルを認めたことになってしまって、
それで満足されて、怠けられたら困る、
とてもじゃないが、この程度で褒めることなどできない。
そう考えるから、褒めることができない。
僕自身も結構ストイックに生きてきたので、自分に厳しい。
他人も厳しく見てしまう傾向にあった。
ついつい周りにも高いレベルを期待してしまう。
高いところから見ていると、褒めることが難しくなる。
でも、赤ちゃんが歩けるようになって褒めない人がいるだろうか。
そのレベルでは褒めるには値しない、と言うのだろうか。
人は本能的に、常に進歩したいと願う。
怠け者は怠け者になりたくて、なったのではないのかもしれない。
周りから評価されなくて、褒めてもらえなくて、いじけてるだけかもしれない。
心が折れて、諦めてしまっているだけかもしれない。
怒って指導する愚行。
人は恐怖ではコントロールできない。
一時的にはできるかもしれないけど、長続きしない。
信じて、期待して、褒めることでしか、努力は継続しない。
人が行動しようと決め、成長するためにはそれなりのパワーが必要である。
周りがそれを支援したいと思ったら、
褒めて、褒めて、褒めて、評価してあげて、
正のエネルギーを分けてあげるしかない。
怒りとか不要。マジ捨てて。
批判や否定も不要。ほんと捨てて。
相手を一人の自立した人として、信じて、褒めて、感謝しよう。
みんなで、楽しく、前向きな努力をして、お互い認め合って、
今より改善していくこと。
これが一番幸せ。
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