お金に対する認識は大抵間違っている

お金 経営のこと

マネージャー養成研修をやるって決めて、

まず始めに話したのは、お金のこと。

お金について、みんなにじっくり考えて欲しい。

なぜなら会社の活動にはお金は切っても切り離せないから。

お金をどう定義するかが、働くことの意味、働きがいを決める要因の一つになる。

しかし、お金に対する教育は日本において完全に欠如している。

これは社会問題だと感じている。

みんなもちろん金稼ぎのために会社に所属し、働いている。

会社の成功はお金を稼ぐことでもある。

それなのに、日本ではお金が悪であると見られる傾向がまだ根強い。

誰かがお金を稼いでいるということは、誰かが搾取されているのだ、

というゼロサムゲーム的な発想をする人もいる。

お金。

それが、どうして生まれたか。

お金が無い世界はどういうものか。

色眼鏡をかけずにお金を見るならば、

それは社会との関わり。

サービスやモノをあげる人は、対価としてお金を受け取る。

サービスやモノをもらう人は、対価としてお金を渡す。

無数のお金のやり取りの中で社会は成り立っている。

善か悪かという議論など必要なく、

お金をやり取りすることは、シンプルに社会と関わることであり、

その金額が大きければ大きいほど、社会との関わりは強い。

会社が大きくなるということは、社会に対する影響力が大きくなるということでもある。

お金とは何なのか。

不足している人にとっては切実に必要な、価値あるものである。

それは自分の時間を切り売りせねば手に入らないものだから。

一方で、足りている人にとっては、どーでもいいものでもある。

お金の必要量は、自分がどれだけ他者の助けを必要としているかに等しい。

たくさんの助けが必要な人は、より多くのお金を必要とする。

お金をもらうということは、人に何かをしてあげたということ。

お金を払うということは、人から何かをしてもらったということ。

世の中には、お金を払ってばかりで、受け取ることを知らない人たちがいる。

5体満足でやろうと思えばできるのに、そういう発想がそもそもない。

そんな類の人たちは、世の中に価値を提供していない搾取者であり、

僕はあまり好きではない分類の人たちである。

僕は、お金をもらうだけの人を批判しない。

お金を払うだけの人を軽蔑する。

そうは言っても、そこまでこの問題には執着していない。

お金はただ、社会と関わるためのツールにすぎない。

あまり固執すべき対象ではない、ということをまず始めに言っておきたかった。

お金に固執しすぎると、既得権や損得勘定に縛られて、自由に行動できなくなる。

そのことを最も危惧する。

もし僕がお金に執着していたとしたら、

地元に帰ってきて、みんなに研修なんかしておらず、

こんなブログも書いていなかった。

お金を目的とする生き方に陥ると、ただただ空虚でむなしい結末が待っている。

だから、この会社に所属する人たちには、そうならないで欲しい。

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